バレンタインの思い出
チョコを手作りする、というバレンタインにつきものの行為は、女性なら一度は経験があるのではなかろうか。
かく言う私も手作りチョコに挑戦したことがある。そして、ことごとく失敗した。
「買ったチョコを溶かしてもう一度固める」ことを、「溶かして固めるだけだ」と高をくくっていたからだと、じゅうぶんわかっている。
温度計を購入せず、感覚で溶かして、湯せんでは必ずお湯が入ってしまった。なんていうか、もう、おぞましい状況だった。はなからうまくいくはずがなかった。
だけど、私を奮い立たせてしまったのは、「バレンタインが誕生日」の同級生の男の子がいたからだった。
ゲームやマンガの趣味が合う、小柄な子だった。ドラえもんやつるピカはげ丸くんとか、おぼっちゃまくんのマンガを貸してくれた。
決してもてるタイプではなく、「どうせもらえないだろうから」と、ほんと、何様なんだろう私、一方的にチョコを手作りしてプレゼントすると宣言してしまった。それが、小学3年生のときだった。
私が作ったチョコは、湯せんのお湯が入ったホワイトチョコを無理矢理まるめて雪だるまに見立てたもので、振りかけたカラースプレーがせめてもの慰めの、さもまずそうなものだった。
その子の家は同じ町内だったから、私は家にまで持っていって、今で言うドヤ顔で渡した。チョコレートをこんなひどい目に遭わせておきながら、いったいどうしてそんなことができたのか。これはもう、自己満足に他ならず、私はただ「初めて手作りチョコを作った」達成感に満ち満ちていたからだった。
それでも、その子はそんな悲惨なチョコを、食べてくれた。私がいちいちこれはこうしたああしたと言うのを聞きながら。
その子とは中学校も一緒だったけれど、自然とつきあいはなくなっていった。
そういうものだろうと思っていた。私も他の小学校から来た子と仲良くなって、男女問わず、交友関係は変わっていたから。
だけど、地元の友達は、なんとなく特別で、いつかまた気軽に話し合えるようになるんだと思っていた。信じていた。でも、その子とは、かなわなかった。
高校3年の冬、その子はダンプカーにはねられて、亡くなった。
私は離れた市の高校に通っていたけど、すぐに近所の同級生が連絡をくれた。仲の良かった4人で、その子の家に行った。
はねられたっていうのにその子の顔はただ眠ってるみたいで、信じられなかった。だけど妙に白くて、おじいちゃんが号泣していたから、やっぱり亡くなってしまったんだと思い知らされた。その子がおじいちゃん子だったのは、みんな知っていた。
あれからもう14年経った。
その子がはねられた場所には、はじめのうちは花が手向けられたり、お線香もあった。だけど、そこは区画整理されることになって、いつの間にかすっかり様子が変わってしまった。その場所が、今はもうわからなくなってしまった。
私も、成人式を向かえて、大学生ぐらいまでは覚えていたけれど、そのうち、思い出さなくなってしまった。
だけど、バレンタインが近づき、手作りするしないの話になると、どう見ても失敗したチョコなのに食べてくれたあの子が、しみじみと思い出された。
バレンタインはあの子の誕生日だった。
一緒に過ごした時間が、たしかにあった。
今週のお題「バレンタインの思い出」