母になれたというものの

32才で初めての妊娠。 これまでいろいろありました。

おじいちゃんの手紙

先日、母方の曽祖父の27回忌で実家に帰ったとき、父が、旅行先で授かったお守りをくれました。お守りは、「安産祈願」としっかり書いてあり、思わず笑みがこぼれました。

父さんは照れ屋なので、ぶっきらぼうに渡してきたけど、これを授かってる姿を想像すると、心がほんわかあたたかくなります。

それから、おじいちゃんから預かっていたというお祝いの袋もいただきました。

 

私が「おじいちゃん」と呼ぶのは2人。母方の曽祖父と、父方の祖父です。

むろん、後者のおじいちゃんからで、父さんが預かってるとメールをくれたので、私はすでにお礼状を送っていました。妊娠報告をしたお祝いだとわかっていたし、お金の袋なので、お金だけ入っていると思い込んでいたからです。

 

帰ってからありがたく袋を開けてみると、お金の袋だけでなく、一筆箋が入っていました。私の大好きなおじいちゃんの字。今年で90歳になる人が書いたとは思えないほどの達筆は、いつ見ても惚れ惚れするけれど、今回は特に、胸に刺さるものがありました。

 

おじいちゃんはいつもおだやかに微笑んでいて、私の旅行や相撲の話を聞いてくれていたけど、おじいちゃんも、心の中でずっと、ひ孫の誕生を待ち望んでいたんです。

私が結婚してからもう丸4年が経っているから、言う人は言います。「まだなの?」

授かりものというものの、2年経っても授かれないと「不妊」と定義されることを、博識のおじいちゃんが知らないはずはなくて、でも絶対にそのことには触れなかった。だけど、おじいちゃんも待っていたんです。

 

待たないなんてことはないと思うけど、おじいちゃんの手紙は、ああ本当に楽しみに待っていてくれたんだ、と心に直に響くものがあって、思わず涙が出てしまいました。

おじいちゃんの手紙にあった、「新しい崇高な生命」という言葉が、おなかの子をこれ以上ないくらい慈しんでいるように感じて、ありがたくて・・・。

 

はやくおじいちゃんに、抱っこしてもらいたい。